神宮外苑再開発つづき

永井荷風の「江戸芸術論」の「浮世絵の鑑賞」からの引用です。残念ながら、荷風の時代から歴史を顧みない精神は変わっていないのです。

余はまたこの数年来市区改正と称する土木工事が何ら愛惜あいせきの念もなく見附みつけ呼馴よびなれし旧都の古城門こじょうもんを取払ひなほいきおいに乗じてその周囲に繁茂せる古松を濫伐らんばつするを見、日本人の歴史に対する精神の有無うむを疑はざるを得ざりき。泰西の都市にありては一樹の古木一宇いちうの堂舎といへども、なほ民族過去の光栄を表現すべき貴重なる宝物ほうもつとして尊敬せらるるは、既に幾多漫遊者の見知けんちするところならずや。しかるにわが国において歴史の尊重はだ保守頑冥がんめいの徒が功利的口実の便宜となるのみにして、一般の国民に対してはかへつて学芸の進歩と知識の開発に多大の妨害をなすに過ぎず。これらは実に僅少きんしょうなる一、二の例証のみ。余ははなはだしく憤りきまた悲しみき。然れども幸ひにしてこの悲憤と絶望とはやがて余をして日本人古来の遺伝性たるあきらめの無差別観にらしむる階梯かいていとなりぬ。見ずや、上野の老杉ろうさんは黙々として語らず訴へず、ひとりおのれの命数を知り従容しょうようとして枯死こしし行けり。無情の草木はるか有情ゆうじょうの人にまさるところなからずや。

青空文庫 永井荷風「江戸芸術論」より